【BOOK】カルーセル麻紀さんの少女時代…“虚構”だからこそ表現できるものがある 桜木紫乃さん「緋の河」
直木賞受賞から6年-。最新刊はニューハーフタレントの草分け、カルーセル麻紀さん(76)の人生をモチーフに描いた大河小説だ。初の大長編、すでに桜木文学最高傑作の呼び声も上がる。麻紀さんに「私をとことん汚く書いて」と言づかった本作に込める思いを聞いた。 --なぜ麻紀さんだったのでしょう
「2015年にカルーセル麻紀さんが自叙伝の『酔いどれ女の流れ旅』を出版したとき、対談に呼ばれたんです。同じ釧路出身でしたが、初めてお会いして麻紀さんの容易に近づけないすごいオーラに緊張しながらお話ししました。その際びっくりしたのは同じ中学校の先輩ということよりも原風景が同じ、ということだったんです」
--原風景とは
「麻紀さんがアフリカでケニアの景色を見たとき、どこかで見たことがあるわと思ったら、釧路湿原だったって。私は15、16歳の頃に、父が経営していたホテルローヤルの窓から釧路湿原を見てサバンナってこんな感じかな、と。乾いた土地と湿った土地から連想するものが同じだったのです。麻紀さんの内側にある景色に強烈に惹かれました」
「私は麻紀さんの中学時代の通学路まで知っている。だから麻紀さんのことを他の誰かに書かれたら悔しい。絶対に自分が書きたいと思ったんです。書き手として初めて持った欲でした。その後手紙を書き、直接お会いしてお話しもしました。そのとき、お願いしたことがあるんです」「麻紀さんの少女時代を虚構で書かせてください、虚構でないと表現できないことがあるんですということでした。そうしたら『いいわよ』って。そのときです、『その代わり私をとことん汚く書いてね』って言われたのは」
「麻紀さんは虚構が何であるかよくわかってらっしゃいます。ご自身が“カルーセル麻紀”という虚構を愛し“カルーセル麻紀”を表現するために生きてきた人。だから私がやろうとしていたこともわかってくださった。吉行淳之介さんをはじめ優れた書き手とのお付き合いも多い方ですから」
--虚構でと思われたのは
「麻紀さんが“話芸”として昇華されたものを、私が文芸に落とし込んでも何も伝わらない。わかったふりをして書いても小説にはならないですね。だから、釧路で生まれて、家出してゲイバーに勤めてなどという事実の“点”はあっても、点と点の間の“水たまり”は私の想像です」
--幼い弟の死は
「それは本当です。麻紀さんがぽつんと、“弟が死んでも全然悲しくなかったのよ。だって母親が私だけのものとして戻ってくると思ったから”と話したとき、彼女の孤独がどこから来ているか書いて確かめたくなったんです。周りから可愛いと言われ続けてきて、弟が生まれて母の愛情が弟に行ってしまった。しかし、それが戻ってくる。諦めないというのはつらいことです。その一言で、500枚書けると思いました」
--1年3カ月の長期連載でした「生きていくことの答えを求めて証明問題を解くような気持ちで書いていきました。これまではなにかを諦め、別な1歩を踏み出す女を書いてきたけど、(麻紀さんは)諦めない上、2歩進む女なんです」
■あらすじ
昭和20年代、北海道釧路に暮らす6歳の秀男は、小柄だが愛らしく周囲からヒデ坊と呼ばれていた。自分を「アチシ」と呼び、女性の仕草や化粧などに憧れている子供だった。父親や兄と摩擦を生む中で、他者と違う自分を自覚する秀男。花街に出入りするようになり、彼を理解する女友達のノブヨを得る。やがて秀男は地元の高校に進学するが、ゲイボーイになるため、家出して札幌のゲイバーに飛び込む。しかし、家族に見つかり、いったんは釧路に戻る。が、母、姉の理解を得て、高校を中退、再び札幌に。ゲイバーで歌い、踊り頭角を表す秀男。東京、大阪に移り、やがてテレビ出演の話が舞い込んで来た…。(北海道新聞、東京新聞、中日新聞、西日本新聞、河北新報各紙夕刊に連載)
これまで書いてきた女は、
なにかを諦め、別な1歩を踏み出す女。
カルーセル麻紀さんは諦めない上、2歩進む女なんです。