トランスジェンダーのジャーナリストが、身をもって経験した 「男らしさ」の意味とは?
女性として生まれたものの、自らの心と体が一致していないと感じた著者は、ホルモンの注射によって、男性の体に。人々は男性になった著者を見て、これまでと大きく態度を変える。男性になってみて、社会には厳然たる男女差別があることに、改めて気づく著者。女性の気持ちがわかるだけに、そのことにとまどい、迷う。自分はこういうものになりたいと思っていたわけじゃない……「男」とは何か? もっとも「男らしい」とされるボクシングのチャリティーマッチに参加して、そのことを探ってみることに決めるのだが……。男はなぜ闘うのか? 私は何と闘うのか?
なぜ、男は闘うのだろうか? わざわざ殴られようとする男がいるのは、どうしてなのだろう? その様子を見物したがる人間がいるのは、なぜなのか?
男とは、何だろうか?
テストステロンの注射を始めたとき、私は三十歳。自分自身で美しいと思える人間になりたかった。そのためにまず、外見から変えていった。すると男物のTシャツが、体に合うようになった。二の腕の筋肉が、優美な盛り上がりを見せるようになった。自尊心をくすぐる無精ひげが生えた。男の外見、におい、振る舞いが愛おしかった。男のひきしまった体、たくましさ、気楽さ、床屋で剃刀をあてること、胸をはった姿勢が愛おしかった。
男の洗面所の効率性、弟と肩を並べて走るときの言葉にならない肉体的な快感、道ぞいの建物に映る影をいつくしんだ。
自分のものと呼べる体を持つことが、男であることの幸せだった。二十代後半に乳腺を切除する手術を受けていたが、今度は毎週、ももに太い注射針を刺した。名前を変え、この世界の己の居場所を変えた。もう目深にかぶった野球帽とウェアに隠れることもなく、思いのままにシャツを脱ぎ捨て、波間に飛びこむことができた。
はじめのうち味わった喜びは日常的で、単純で、新しい自由の温かな実感に満ちていた。シャワーを浴びたあと、タオルで体を拭きながら、曇った鏡に映る平らな胸を見ること。広い肩幅、小さくなった尻、手持ちの服がいつの間にかフィットしていること。筋肉がついたことで、歩幅が広くなり、手は大きくなり、ふくらはぎと首筋が太くなったこと。浴室で上半身裸になって腹筋に触れると、鏡の中の肉体も同じ動作をした。私が振り向くと、男もこちらを向いた。私が微笑むと、男も微笑んだ。私が腕を曲げて伸ばすと、男も同じことをした。
トランスジェンダーの物語は──そのような物語を聞く機会があったとして──たいてい、こんな幸せの象徴とともに締めくくられる。主人公の男女は、肉体的な変化を通して、「ついに本当の自分になりました」。いい話ではあるし、実際にそういった面もあるのだろう。妊娠や臨死体験にしても、肉体にかかった強い負荷が日常生活と記憶を一変させ、時間の感覚さえ変えてしまうことがある。けれど私の物語はそこでは終わらない。終着点は、まだはるか遠くにある。なぜウォール・ストリートのビジネスマン風の男が顧客にサンドバッグを殴らせるのか、その理由はまもなくわかった。私は間違いなくジムで最も弱いボクサーだったが、鼻筋に傷をつけて出社すると、てきめんに効果があらわれたのだ。
「よう、勇ましいな」と、男の同僚たちに冷やかされてクールな気分だった。大きなスポーツバッグをたずさえ、持ち手に黄色いグローブを陽気にぶらさげてオープンオフィスを歩くと自尊心がくすぐられたし、ほとんど何もしていないのに強くなったように感じて不思議だった。「以前」とは、まったく違った。
あのころの私の、ひげのない中性的な体はまわりの困惑の種で、ビジネスにふさわしくないとされた。あるNPO団体に勤めていたときは、外見そのものが「誤解を与える」から大事な顧客には会わないよう露骨に言われた。私自身、正面から給与の交渉をすることもなかった。数年後と違って、「将来に期待できるから」という理由で採用されることもなかった。
あのころは女性の友人たちの苦労にも共感できた。とりわけ彼女たちと同じように扱われていた職場では、男女平等という言葉なんてお笑い種なのはよくわかった。
状況が変わった時点は、はっきりしている。男になろうと決めて六カ月、まだボストンで働いていたときだったが、テストステロンの効果で声が低くなった。ものすごく低くなった。にぎやかなバーの店内や、騒然としたミーティングの場では、ガラガラ声を張りあげなければ気づいてもらえなかったくらいだ。けれどいったん声が通ると、まわりの人びとはただ聞くのではなく、食いついてきた。私の口もとを真剣に見つめるか、私の御託宣を聞くのに邪魔が入らないよう、うつむいて両手を見ているのだった。
ボストン・フェニックスでのミーティングで、手に入れたばかりの静かなバリトンではじめて発言したときも、まわりが急に集中したのがわかり、どぎまぎして言いかけた意をまとめられなくなってしまった。扱いづらい新聞記者の一団が、雑談をやめて私を注したのだから。ひげが伸びはじめ、筋肉もついてきたところで、その見かけなら男として通ったのだろう。
私には新しいルールが適応されていた。男女に関係なく、会議室にいた全員が、私の発言を待っていた。
会議の席での静寂に気づかされてから、自分は職場の女性たちの味方だと思っていた。けれどラリッサとのジムでの出来事のあと、私自身が問題の一部になってしまったのだろうか、と考えざるを得なくなった。
ラリッサは親切心から発破をかけてくれたのに、私は脅威をおぼえた。自分の体のせいで不公平な扱いを受ける気持ちは、生まれたときからよく知っていたのに、人前で女性に弱点を指摘されたことで動揺したのだ。
秒単位で変化する。
「ジェンダーに支配されたい」か
「そんなものは無視する」か優劣はなく選択の自由。